親の看取りで経験した自分が成長するために必要なこと

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人生いつかは終わりを告げます。

そのことがわかっているのであるならば本当に親との別れというのは辛いものがあるのではないかと思いますが私は3年前に親を看取りました。

その経験から言えることは自分は本当に看取りをできてよかったと言える反面孤独な部分もあったということなので自分を成長するために必要なことについてこれからお話しします。

親はいつか死ぬということを知っておく

どんな人にも親はいつか死ぬということを理解しておかなければいけませんが、遅かれ早かれあなた自身が親との別れを経験するっていうのは間違いないです。

病気なのか事故なのかこれは正直分かりませんしその人の運命かもしれませんがどっちに転んでも親との別れは本当に辛いものです。

私もこの親の別れを経験したからこそ言えることですが全て自分でやってきたと言っても過言ではなく介護をしている途中で親が亡くなり葬式から納骨まで一連のことを執り行ったということでもう大変でした。

あれから3年が経過するという中で自分自身がもう3年も経過するのかという風に思った時に親の死とはという風に考えた時にいずれこうなるという風に考えていたら自分たちはどう生きなければいけないのかという風に真剣に考えなければいけません。

自分の人生ですからあなた自身が決めないといけないことは山ほどあります。

他人は助けてくれませんし当然のことながらあなたの人生はあなたが決断していく連続です。

親よりもあなたが先になくなるということは本当に不幸だと言ってもいいかもしれませんがこればっかりはわからないということなので人はいつか死ぬという風に運命が決まっているのであるならば今のはこの瞬間を楽しまなければいけないことは間違いないです。

親の看取りができればあなたはまだラッキー

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親の看取りができたというのであるならばまだラッキーな方ではないかという風に思いますが私は孤独死をする人ほど世の中を象徴しているものはないと思います。

今思えば親を看取りできたということで本当に自分自身はこれで良かったのかという風に思うことがあるかもしれませんし自分はこんな生き方をして良かったのかという風に思うんです。

親は何年も生きるわけではありませんのでこの先人生がどういう風になったとしても自分は本当に孤独になるんだなという風に思ったらそうなるかもしれません。

看取りをすることによって全てをやらなければいけないという部分はあるとは言え私自身も一度経験したことですのでもう本当に大変です。

そういう大変なことを経験している人間から見れば親の看取りはまだ経験していない人から見るとストレスも溜まることもありますし本当に親との時間がものすごく大変だということも分かりました。

もっと親と過ごせば良かったという風に思うこともあります。

今更悔やんでも仕方がありませんしもう親は戻ってきません。

私は本当にこの親の看取りから色々と学んだことは時間の大切さということを学んだと同時に自分の生き方はもう後悔しないようにしようと決めたわけです。

常識だの何だろうという風に決められるよりも自分らしい生き方に価値を見出していきたいと思っています。

孤独死ほど悲しいことはない

家族や親戚と疎遠になっている人ほど孤独死を迎えている人が多いのではないかと思いますが私は非常に孤独死というのは看取りができなかった家族よりも辛いのではないでしょうか。

私は幸い親を看取ったので誰もがこのような孤独死だけは避けたいという風に思うかもしれませんが私も家族も決して豊かな家庭ではありませんでした。

でも孤独死だけは絶対に避けたいという風に思い自分自身はここまで這い上がってきたと言っても過言ではありませんがまだ看取りができてましな方だと思っています。

決して看取りをいいとか悪いとかという表現は悪いかもしれませんが私を個人的に家族に看取られてなくなるというのは亡き両親からみれば幸せだったのではないかと思います。

もちろんこういう表現をするというのは本当にふてぶてしいかもしれませんが私は孤独死ほどつらいようなものはなくやはり孤独死というのは避けるべきじゃないかと思うんです。

世の中が本当に弱者を切り捨てるような社会になってきているからこそやってはいけないという風に思うんですね。

親がいない現実は受け入れることが成長につながる

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親が亡くなり最初の1年から2年というのはつらかったと言ってもいいぐらい私自身も現実を受け止めることができませんでした。

これは本当によくあることで、その人がどれくらいで自立できるのかというのは全く違ってくるので人によっては親が亡くなってから5年ぐらい経ってもなかなか自立できないという人もいます。

そういう人に限ってどういう思いなのかということは分かりませんが1つだけ言えることは受け入れるということをしなければならないです。

色々と辛いかもしれませんし痛い気持ちはよくわかります。

でも悲劇のヒロインを演じたところであなたの両親が戻ってくるわけではありません。

私も悲劇のヒロインを演じていたのかもしれませんが周りから見れば何も変わることなく別にというような感じがしてどこか胸糞わるい部分がありました。

だからこそ親がいないという現実を受け止めそして自分が何をするべきなのかということを考えていかなければならないと思います。

今親がいないというのであるならばそれはあなた自身は自立するという意味にも成長できるチャンスだと思っています。

今の現実を受け止めてそして自分が進むべき道に向かって一生懸命やっていけばいいのではないかと思っているぐらいです。

月命日のお墓参りを大切にしていけば大丈夫

君命日のお墓参りは何のためにあるのかという風に言われるかもしれませんが私はこの3年間欠かさずお墓参りをやってきました。

お墓参りとは故人を供養するためにやりますが、同時に亡き人を偲ぶという意味もあるんです。

亡き人をしのぶということはもちろんのことながらその人のことを思い出しいろいろと思い出にふけるという部分もあるかもしれませんが大切なことはいつまでもその人のことを忘れないということです。

私はお墓参りに行くたびに本当に自分自身が育ててくれた両親のことを感謝の意を込めて手を合わせるということをしています。

月命日にお墓参りを行くというのは両親にとっても供養になりますし私自身も建立者としての当たり前のことがやっとできたようにも思います。

私にとってのお墓参りというのは両親にとっての親孝行のようなものだということでもありますしもちろんのことながら自分にとっては亡き両親への供養だと思っています。

ですのであなたが遠方にお墓があったとしても月命日のお墓参りぐらいはやってもいいのではないかと思います。

まとめ

親の看取りは正直つらいものは言うまでもありませんが、大事なことは親はいつか死にます。

その時にどう思うかによって色々と変わってくることもありますしあなた自身も成長してくるでしょう。

私もこの3年というのはつらかったこともありましたし色々ともう人生やめようかということを考えたことはありました。

でも人はどうしても親との別れを経験して初めて成長するものだと私は思っています。

いつか人の死というのは避けられないものですし私もまた自分自身がどこでなくなるのかなんてことは分かりませんが自分の死というものを意識するということは持っておいてもいいでしょう。

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