こんにちは草川満です。
あなたは死にたいというような言葉を口にしてはいませんか?
人生誰しもこういうことに立ち向かうというのは簡単ではありませんが私は親の死を経験して本当に思うんです。
自分の1回きりの人生を簡単に終わらせてはいけないそれよりも希望を持って生きた方がいいということを。
今日は親の死を経験した私が死生観というものについてお話をさせていただきたいと思います。
(断っておきますが死を連想させるようなことは一切書いていませんのでご安心ください)
人はいつか死ぬことに間違いはない
人間が避けられないことが1つあるとするならばいつかあなたは死んで土に還ることなんです。
私は両親の死を通じて本当に思ったことはこんなに死ぬということが辛いものかという風に経験し本当にこの3年ぐらいはどん底に落ちていました。
誰にも悩みが話せないというよりもいつか自分もこんな日が来るんだろうなという風に思い先に両親が亡くなりそして全ては私が執り行い今まで来ましたが正直全てを抑えるのが限界です。
いつか自分にもしっぺ返しのように来るだろうなという風に思いますがいつどこでどのように人生の終焉が来るのかなんて誰も予測はつかないです。
しかし人はいつか死ぬという運命がある以上今この瞬間を一生懸命生きなければならないということは確かであり私もそのように思うんです。
しかし今の人たちというのは本当に無駄な時間を使ってしまっているということに気づいていません。
私は無駄な時間を使わないためにも今できることというのは楽しいことに一生懸命集中したいと思いますし私も自分のやりたいことにもう誰も口出してほしくないと思うんです。
病気だとか、能力だとかそういう縛りがあるというようなことだけで本当に自分の一回きりの人生後悔したらバカバカしいでしょう。
でも本当に大事なことはいつか死ぬという概念からは抜け出せないということを忘れてはならないことです。
親の看取りをした自分から言えば死ぬというのはよくない
私自身も自分の母親が亡くなった直後にこのように死にたいというような妄想が出てしまったのか本当にもう何もかは嫌で逃げたいというようなことはありました。
もちろん警察沙汰になったと言っても過言ではありませんし私自身も全てが嫌で誰からも理解されなかったというようなことがありました。
それ以来引きこもりになったと言ってもいいぐらいもう誰とも関わりたくないというような人間になり人間関係がうまくいかないタイプかもしれません。
もしあの時に死んでいればどうなったことでしょう?
人生が変わっていたのかという風に言われると誰も困らないですし私自身も別に誰かから何を言われるというようなことはなかったのかもしれません。
はっきり言えることは今の時代の人間は無関心であるということは言うまでもないですしそこまであなたに興味があるわけではないでしょう。
役所の人間があなたが死んでいることに気づいていないと言ってもいいですし最近は孤独死というのもよく聞きますが孤独死になったからと言ってすぐに片付けられるようなことではもはや意味がありません。
親の看取りをして私自身も思いましたが本当にこれからの時代というのは自分自身がしっかりと生きていかなければならないと思いました。
だからこそあなたも必死に生きて欲しいんですね。
あなたのやりたいことを見つけてそこに見つけて誰も口出しできないというよりもあなたの本当に助けてくれる人に助けてもらいそして堂々と生きて欲しいんです。
今の社会は不公平すぎますね。
本当に助けてくれる人が助けてくれないというような社会であるならばそんなものは生きていても価値がありません。
人生は一度きり、やりたいことで人生を生きる
田舎なんてクソだという風に思って私自身は20歳の頃に東京に行きたいという風に周りの人に言いましたが本当に病気だからなんだからと言って周りに反対されたことがありました。
当時は本当に田舎なんてクソだという風に思ったこともありましたしいまだにそういう感覚があるかもしれませんがもう時代は違うんです。
今は田舎だろうが都会だろうがそれほど感覚はありませんし私も個人的にはネット社会ですのでどこで何をやろうとそれほど変わらないなという風に思いました。
今やっていることが天職になるのであるならばインターネットビジネスという出会いに感謝しそしてビジネスを通じて自分が何に貢献できるのかということを考えてきました。
やりたいことで人生が生きられるこんな素晴らしいことないじゃないですか。
決めつけられた人生の中でつまらない生き方をしたところでそれは誰だって自殺したくなるのは当たり前なんです。
親の死を経験して本当にわかったのは親という存在はいつかはなくなるというよりも自立しなければいけないということです。
私はその親の看取りを全てやりそして全てを執り行った人間なので本当に誰にも頼らずにここまで生きてこれたなという風に思います。
そんなこと自慢なんてしていませんが1つだけ言えることは誰かに借金をしてまで自慢をしているわけではありません。
何とかここまでやってくれたことに感謝してると言っているぐらいです。
自己犠牲ほど怖い日はない
親の死や介護など自分のことなどを犠牲にするということは日本人の美徳の部分にあるかもしれませんがそんな生き方は正直クソみたいなもんだと思いました。
家族を介護するっていうのは仕方がない部分もあるとはいえさすがに一人で全部やるというのはどう考えても難しいです。
何で自分が全部やらなければいけないのかという風に罰ゲームのように考えたこともありましたし本当に色々なトラウマが出てきたと言ってもいいですがほとんど自己犠牲のように思えて仕方がありませんでした。
でも1つだけ思えたのは、こんな生き方をしてればいつか滅んでしまうということだったことです。
こういう生き方をするよりももっと楽しい生き方をしたらいいじゃないかという風に思うかもしれませんが私はこんな生き方は正直ごめんです。
自己犠牲という一番最悪な生き方をして自分がヒーロー気取りの痛い人間になろうという風に思っても周りは何も持っていません。
自分が犠牲になってバカを見るこんな社会というのはどう考えてもおかしいというぐらいです。
今の若者は自殺するというような最悪の選択肢を選んでいくかもしれませんが私はそんな生き方をしてほしくはないんですよ。
介護の現実、誰にも語れないことはある
訪問介護や在宅介護など色々とあるかもしれませんが私自身は父親が在宅介護をしていたというようなことで私も経験はありますが今は自分の兄を施設に入れています。
もちろん施設に入れるというのであるならば身元引受人というような条件がありますので私自身がなっています。
こういった本当に介護の現実というのを知らない人たちが色々と言ってるかもしれませんが介護施設だって誰だって入れるわけではありません。
必ず身元引受人になる人たちがいないとだめだと言ってもいいので私は身元引受人になるのは正直嫌でした。
ただ今は状況がかなり変わって自分の親が亡くなりその親の代わりになる身元引受人に誰がなるのかと考えた時に自然と家族になるということなんです。
そうなってくると本当に色々な書類にサインをしたりしなければいけないのでもちろん本人は気づいていないかもしれませんが正直しんどいです。
自分のことだけでも精一杯なのにここまで犠牲にしなければいけないのかという風に思うと本当に胸糞悪い1日を過ごしたと思えば何でこんな自分がいるのかというもう一人の自分がいるんです。
本当にイライラするもう一人の自分もいましたが別に施設に入っている本人には何の罪もないわけです。
そんなことまで言い出したらばかばかしいと言ってもいいので私はそんなことを言うつもりはないですが1つだけ言えることはもはや福祉がこんなにクソみたいなようになってきたということは確かです。
どんな事があっても死んではならない
私自身も本当は死にたいというようなことを何度も言って周りを困らせたというようなことがありましたがあなたに言いたいのはそういったことを言ったところで誰も助けてくれないという現実です。
もちろん助けてくれる人がいるかもしれませんがそういう人に甘えても意味がないです。
もう親はいませんし親がいないのであればどうするべきかという風に考え受けられる支援は受けた方がいいです。
別にあなたが何を言われようと関係ないですしそういう連中というのは何もあなたのことを知らないような連中じゃないでしょうか。
私は個人的にどういう風に見られても構いませんが1つだけ言えることはこういった連中というのはまずあなたに対して何の興味もないです。
あなた自身がそんな人間に振り回されることなく自分らしい人生を送っていれば死にたいなんて思いません。
私も本当に死にたいというような言葉を使っていたのかもしれませんがその時はお先真っ暗でどん底の状態だったのかもしれません。
でもはっきり言えることはどんなことがあっても死んではならないということで希望を持って生きるということですがもちろん口では簡単に言えます。
私も親の死や家族の介護など本当に悩みの種は多いかもしれませんからそれらを1個1個乗り越えてきました。
やっと3年ぐらいが経過してやっと落ち着けると思ったらもはや自分自身に今度は降りかかる危機にどう対応するかということを考えないといけないです。
どんなことがあってもあなたは死んではいけませんし私は這い上がってこそ意味があるんじゃないかという風に思うんです。
希望があるからこそ人は生きれる
人は希望があるからこそ這い上がれると言っても過言ではありませんがまだまだあなたはどん底だと言ってもチャンスはあります。
1回きりの人生を簡単に死にたいなんて言ってる人は本当に愚かだと言ってもいいですし甘ったれんなという風に思います。
確かに私自身もどこがどん底に落ちたと言ってもいいぐらい周りの意見に振り回され自分の決断ができなかったことは情けなかったのかもしれませんがこれまで自分が招いたことに対する責任が持てなかったのでしょう。
でもあなたはこれから自分自身で決断していく自己責任という4文字熟語が嫌いな人もこの言葉の意味を理解すればもう自分で決断していって最後はどういう風に看取られるのかということです。
今の時代は本当に希望があって生きている人とそうでない人がいるかもしれませんが私はまだこうやって書くことができるのでマシな方です。
体が動きそして物が食べられると言っても精神疾患の人間である以上はもちろんある程度の制約は受けると思います。
でもこうして希望があるからこそ人は生きられ自分という存在がある以上生きていけばいいんです。
希望を持つということはある意味素晴らしいことですからね。
まとめ
親の死というのは色々なことを教えてくれたと言っても過言ではありませんが私自身はもう3年が経過すれば自分はもうくよくよしても仕方がないと思いました。
親の死から何を学んだのか本当に死にたいという気持ちが失せてきました。
あの頃は確かに死にたいというような気持ちがあったのかもしれませんが今は生きる希望が湧いてきてワクワクするんです。
もう悔いのない人生を送りたくないし他人の敷いたレールなんて誰も興味はないですし自分の後悔しない人生を生きていきたいんです。
そんな人生の方がまだましに決まっていますしどん底に落ちたとしても誰かが助けてくれたわけでもないですしこれからどんどん這い上がっていきたいと思っているぐらいです。
あなたにはどんどん生きてほしいと思っていくぐらいですよ。

著述家、ブロガー。人生で何度もどん底を経験し他人軸で生きてきたが自分軸で生きる
意味を知り、今はどんな事があっても人は人自分は自分と割り切り情報を発信している
当サイトは体験型メディアなので体験を通じて少数精鋭の人に理解してもらいたいという
のが趣旨。